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バス停(送信所前)から
局舎への銀杏並木

日本電信電話公社
臼井無線送信所
1975・・・・・2001

 

1970年後半当時の送信所
うしろの湖は印旛沼

1970年代地形図
(佐倉)


かつての送信所は孤島のような小高い岡の上にあった。どの方向から行こうとしても登り道になる。
「ここが送信所のあった所ですか?」と、畑仕事の農家の人に尋ねると、そんなこともあったかねぇ、というふうに
かがんでいた腰を上げた。「ずいぶん前の話だよぉ」とおばさんがいう。
「写真を撮って帰りたいんですけど・・」というと、今度は畑の向こう側にいたおじさんがこっちを見て言う。
「写真を撮ってって言っても、もうそれらしいモンはないよ・・・」「・・・・はあ、ちょっと送信所について調べてるんです。」
「あちこちに草むらがあるだろ、あれが公社の土地だね。あとは石(境界)があちこち昔のまま埋まってるけど、
抜かれちゃってるのもあるしね」
おじさんは境界のある所までわざわざ歩いて連れていってくれる。
「この辺アンテナとか建ってたんですよねぇ?」
「ここ20町歩全部アンテナ建ってたよ。7本ぐらい木柱をつないで立てて、そのつなぎ目毎に支線(ステイ)を出して倒れない様に
引っ張ってたよ。その木柱と木柱の間にクモの巣みたいにアンテナが張ってあったねぇ。だからこの辺は網の目みたいだったよ。
アンテナの下全部土地買ってる(公社が)訳じゃないから、アンテナの修理とか言うと、畑の中に入ってこなくちゃ行けないから、
踏まれたりしたしね、畑に機械も入れられないから手仕事だし、正直言って畑仕事はやりにくかったけど、
まあお国の為になるんだったらという気持ちでね・・・。」
「あと、向こうにホームセンターがあるでしょ、あの辺が送信所のあった所だから。あー、そういえば、あそこに銀杏並木が
残ってたなぁ、あれはバス停から送信所の建物に行く通りだったんだよ、あれだけは引っこ抜かないで残ってるなー」

この道は送信所のあった頃から変わっていないのだろう。畑と草地(荒れ地)の間を細い道が走り、そこをぱらぱらと夕方の
犬の散歩に人が歩いている。日が暮れるのに合わせるように送信所跡に建っている新興住宅地に帰っていく。
さっきの農家の人も軽トラで帰ったようだ。
検見川、銚子(小畑、椎柴)と歩いてみて、ここ臼井が送信所の面影が一番薄れている場所だった。
しかし、むかし送信所に勤務していた人ならば、今ここに立っても、どこに何のアンテナが建っていたのか多分言えるんだろうな、
そんなふうに思った。

送信所北側からアンテナ敷地方面。
確かにここが臼井送信所跡なのだろう

給電線切替柱付近から北西方面

西側から送信所局舎方面
建っている家は住宅展示場
左手の銀杏並木は送信所への
入り口であり、一番の遺構。
この道も局舎の前を横切っていた道

←バス停から送信所
局舎への銀杏並木
今のバス停の名前は
国立病院入口

電柱にかろうじて→
痕跡を見た

逓信省施設だった頃(戦前!)の境界
公社マークの物も畑の中に点在している。

教えられなければ、
ここが送信所跡だったとは解らない。

送信所南にある神社
恐らく昔のままだろう

←送信所北の国道
国立佐倉病院入り口


 

    京成線臼井駅→

送信所から数キロの所に
印幡沼が広がる。
向こう岸の方が送信所

資料:臼井無線35年史

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