名崎無線送信所
概略年表
暫定版2008.05.26
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昭和7年 |
国際無線電話株式会社発足 |
日本で初めての国際電話会社 |
これ以前の国際通信は電信による。 |
昭和8年 |
送信所用地として茨城県結城郡名崎村に決定、建設開始 |
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昭和9年 |
台湾、満州を始め海外各地と通話開始 |
送信機: |
受信所として,小室受信所同時開設 |
昭和11年 |
船舶無線電話開始 |
JBOの前身 |
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昭和13年 |
国際無線電話(株)と日本無線電信(株)が合併 |
戦時体制による国策合併 |
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昭和15年 |
国際電気通信 |
現在のKDDI八俣送信所 |
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昭和16年 |
大戦勃発により、国際電話業務の再編と,国際宣伝放送の拡充 |
植民地及び海外移住者地域向電話のみを残し,国際宣伝放送を充実させる。 |
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昭和20年 |
敗戦の玉音放送海外送信と駐留軍による管理 |
全波による詔勅放送送信とその後の全面停波。 |
戦前から戦後の名崎の海外向け放送については,「日本の短波放送」(日本短波クラブ編)が詳しい。 |
昭和22年 |
国際電気通信は国策会社としてGHQにより解散命令 |
名崎送信所は逓信省管轄に |
昭和22年2月連合国軍最高司令官覚書(SCAPIN1580) |
昭和24年 |
電気通信省設置、名崎は管理下に |
電気通信省関東電気通信局国際無線管理所名崎無線送信所*D |
日本国:国際電気通信条約加入により,国際通信の復活へ。 |
昭和27年 |
朝鮮動乱等により、国際電話通信の回線復活、通話増加。 |
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昭和28年 |
日本電信電話公社編入を経て国際電信電話(株)施設に。 |
(昭27電電公社編入) |
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昭和30年 |
100Kw送信機が国際放送用として配備 |
国際放送は八俣と共に運用 |
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昭和31年 |
南極向け放送(実験局)送信 |
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昭和39年 |
KDD名崎送信所の最盛期 |
送信機21台,空中線44面、電話回線28回線、写真電送回線27回線、音声放送回線23回線 |
この頃から海底ケーブル,衛星通信等が開通し,短波は斜陽化していく。 |
昭和44年 |
KDD「短波無線施設の整理統合」計画発表 |
国際放送業務は八俣、電話関係業務は小山に |
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昭和45年 |
国際放送業務八俣移転。 |
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昭和47年 |
業務通信関係小山送信所(栃木県)移転 |
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昭和48年 |
KDD名崎送信所閉所式 |
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昭和50年 |
日本電電公社名崎無線送信所 |
76.11局舎完成及び空中線工事着工 |
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昭和52年 |
運用開始。 |
検見川送信所より |
検見川送信所第1次移装 |
昭和53年 |
名崎送信所にタイムカプセル |
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昭和54年 |
検見川送信所、臼井送信所より移装 |
検見川送信所より |
検見川第2次移装による |
昭和56年 |
第2送信所開局 |
臼井送信所より |
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56〜61年 |
この間に第四同報廃局 |
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昭和60年 |
日本電信電話(株)発足 |
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1986年3月 | JMB 停波(31日) | 国内無線気象通報 | |
昭和61年 |
第2送信所増築の上、 臼井送信所より全面移装。 |
臼井送信所より |
臼井無線送信所廃局 |
1994.10.01 |
JMG停波 |
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1995.06 |
JJD停波 |
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これまでに多数局停波、移動 |
第1,2,3,5,同報,JNA(停波) |
停波日を御存知の方、 |
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1996.4.1 |
JJY2.5/15MHz停波 |
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1999.2.01 |
JMC停波、GMDSSに移行 |
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1999.6.10 |
JG2AS停波、移動 |
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おおたかどや山標準電波送信所 |
2001.3.1 |
JMJ停波(14:00停波) |
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2001.03.31 |
JJY停波12:00 |
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2003.01.31 |
JJC停波 全波ペナン送信へ |
マレーシアテレコム |
JJCからKYODONEWSへ |
2003.03〜 |
名崎送信所送信機移装工事? |
光ケーブル架設 |
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2004.03.31 |
JMH4 JMH6 停波 |
KDDI借地内アンテナ鉄塔撤去 |
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2004.夏秋 |
アンテナ移装、第一送信所撤去 |